大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京家庭裁判所 平成元年(少)5822号 決定 1989年9月12日

主文

この事件については、少年三名を保護処分に付さない。

理由

第一  本件送致事実について

本件送致事実の要旨は、「少年乙(以下「乙」という)、同甲(以下「甲」という)及び同丙(以下「丙」という)は共謀のうえ、金員を強取しようと企て、昭和六三年一一月一六日午後二時ころ、東京都足立区○○×丁目××番×号○○マンションに至り、丙が一階エレベーター付近で見張りを担当し、甲及び乙が、同マンション×××号のD方居室に赴き、同所で留守番をしていたDの長男、E(当時七年)から金の在り場所を聞き出して物色中、同児が騒いだため、甲及び乙において殺意をもって、丙においてその事情を知らず、乙が同児の頸部を両手及びその場にあったベルトで絞めつけ、よって、そのころ、その場で同児を窒息死させて殺害し、丙の関係では死に至らしめ、さらに、同所に帰宅したDの妻F子(当時三六年)に発見され、同女から同児を殺害したことを詰問されるや、乙が、後から同女を羽交絞めにし、その腹部、顔面を甲が殴る、蹴るしたところ、同女が助けを求めて逃げようとしたため、甲及び乙において殺意をもって、丙においてその事情を知らず、甲が同女の頸部を両手で絞めつけたうえ、乙が同女の頸部を更に電話コードなどで絞めつけ、よって、そのころ、同所で同女を窒息死させて殺害し、丙の関係では死に至らしめたうえ、同人所有の現金合計約八万三〇〇〇円を強取したものである。」というものであって、甲及び乙については強盗殺人、丙については強盗致死の罪を構成するというのである。

第二  少年らのアリバイについて

一  少年らの自白以外の証拠によれば、本件犯行の日時は、昭和六三年一一月一六日午後二時ころから同日午後三時ころまでの間、その場所は、東京都足立区○○×丁目××番×号○○マンション(以下「○○マンション」という)×××号D方居室であることが認められるところ、丙は、当審判廷において、本件犯行の時間帯には、有限会社○○塗装(以下「○○塗装」という)の作業員Gとともに千葉県船橋市○○×丁目××番×号JR○○駅高架下、△△株式会社○○営業所ステーションセンター通称××○○(以下「××○○」という)の塗装作業現場において、庇幕板の塗装の仕事の手伝をしていた旨供述するに至った。その要旨は次のとおりである。すなわち、丙は、本件犯行日の午前中は、同市○○×丁目×番×号、株式会社△△百貨店○○店(以下「△△○○店」という)の地下一階などで塗装工事のいわゆる養生の仕事をし、午後は、××○○の作業現場で、前記Gが、ローリングタワーを足場にして庇幕板の塗装作業をしている間、その下で通行人に塗料がはねないように交通整理やローリングタワーの移動などの仕事をし、午後五時ころ帰宅したというのである。

二  丙の上記供述を直接間接に支持し、丙のアリバイの認定に役立つ内容の証拠は、○○塗装の稼働状況の資料(手帳、ノート)及びその成立に関する関係者の供述並びに丙と一緒に働いたという者達の供述である。

1  そこで、まず、○○塗装の稼働状況の資料を検討する。

(一) H作成の手帳について

H作成の手帳(平成元年押第五六七号の23)には、丙が、昭和六三年一一月一四ないし一六日の三日間、△△○○店及び××○○の作業現場に出勤したことを示す記載がある。

証人Hの当審判廷における供述及び同人の付添人Iに対する供述録取書二通、付添人I作成のHの電話聴取書並びにHの手帳によれば、○○塗装の現場責任者であるHは、自分の手帳に出勤した作業員の名前などを記入したうえ、月末にその月分の出勤者(以下同人らの用語に従って「出面」という)をまとめて○○塗装の代表取締役Jに電話で報告していたこと、この手帳は、作業員の給与の支払の基礎となる重要な資料であるため、その正確性が強く要請されていたものであること、したがって、Hは出面を手帳に記入するに当たっては、自分が出勤した場合には自ら当日の出勤者を確認してその日に記載し、自分が欠勤した場合には、出勤した最初の日に他の従業員に当日稼働した作業員の名前を聞くなどして出面を確認したうえその日に記載していたこと、ところで、Hは、昭和六三年一一月一五日は欠勤したけれども、翌一六日は出勤したので、一六日分は自ら出面を確認し、一五日分は、他の作業員から出面を聞くなどして確認し、いずれも同月一六日に出面を手帳に記入したことがうかがえる。もっとも、Hの捜査段階における供述調書には、自分の手帳の記載について、「時々は、二、三日過ぎてから思い出したり、他の工員に聞いて記載することもありました」とか、「私の手帳に夜間、○○△△と記載してあるように、昨年一一月は八日ころから二四日まで殆んど毎日が夜間の仕事が続いていましたので、どうしてもその日に記帳することができず、結局二、三日過ぎてから思い出して、出てきていそうな工員の名前を記入したり、他の工員に聞きながら記入し」たとの記載がある。しかし、そもそも、この手帳に作業員の名前を記載するのは、Hが雇主のJに出勤した作業員名を報告し、それに基づいてJが作業員に給与を支給するためのものであるというのであるから、このように給与支給の根拠となる手帳が不正確なものであって、実際の稼働に全く符合しないものであれば、給与の支給を巡って収拾のつかない状態になってしまうのは明らかであり、そのことからも、仮に、時にはまとめて記載したことがあったとしても、内容に誤りがあったとまでは信じ難い。

(二) J作成の手帳について

J作成の手帳(同押号の24)にも、丙が昭和六三年一一月一四日ないし一六日の三日間、△△○○店及び××○○の作業現場に出勤したことを示す記載のものがある。

Jは、捜査段階において、手帳の記載方法について、次のように供述している。すなわち「明日の仕事につき、その前日に現場ごとに職人の名前を書いて、現場の責任者からは大体月末に電話で稼働した職人の名前の連絡があり、その仕事の内容により、昼間、残業、徹夜に区分けして印をしていた」また、「昭和六三年一一月分の出面については、現場監督であるHから同月三〇日の夜、電話で同月分の報告を受け、それに基づいて昼間のみ稼働した者には青丸印を、徹夜で稼働した者には赤丸と青丸の二重印を、それぞれつけていた」というのである。したがって、同人の供述と前記手帳と合わせ見れば、同月一六日徹夜で稼働した者は、H、K、L、Gであり、残業した者はN、Oであり、昼間のみ稼働した者は、丙とPであるということになる。なお、Q、R、Sの三名については、名前に何の印もないが、これは同日稼働していない者を表わしているというのである。

そうであるとすれば、Jは、予定していた職人のうち、誰が実際に稼働したか、働いた者の稼働時間がどれ程か分かるように記載していたといえる。しかも、内容的にも、Hの手帳とJの手帳の各記載は一致しており、相互に他方の信用性を補強し合っている。

(三) T子作成の大学ノート及び給料支払明細書について

T子作成の大学ノート(同押号の25)及び給料支払明細書(同押号の57、58、61)によれば、丙が昭和六三年一一月一四日ないし一六日の三日間、△△○○店及び××○○の作業現場に出勤したことがうかがわれる。

Jの司法警察員に対する平成元年四月三〇日付け供述調書によれば、Jの妻T子は、毎月給料日の前日ころ、従業員に対する給与支払いのためにJの手帳から上記大学ノートに稼働した者の氏名、稼働した日付及びその時間などを正確に移記したうえ、大学ノートに基づき各従業員の稼働日数に一日一万円の賃金を乗じた金額をその月の給与として各従業員に支払うため、その旨の給与支払明細書を作成していたが、丙の場合には、紹介者であるUが一万円のうちから四〇〇〇円を取得していたために、結局、丙に対しては残金六〇〇〇円が一日の賃金として支払われていて、丙には、昭和六三年一一月九日ないし一一日、一三日ないし一六日、一九日、二〇日、二三日の合計一〇日間稼働し、うち一九日、二〇日、二三日は残業をしているとの前提で、その残業分合計一・五日分を加えて同月の稼働日数を一一・五日と計算し、これに一日六〇〇〇円を乗じた合計六万九〇〇〇円を同月分の給料として丙に支払うため、その旨の上記給与支払明細書を作成したというのである。

2  次に、丙と一緒に働いたという者達の供述について検討する。

(一) ○○塗装の従業員である証人Gは、当審判廷において、「昭和六三年一一月一六日は午前九時に遅刻して出勤し、自分で作業届に名前を記入して腕章を受け取った。午前中は△△○○店内の作業をし、午後からは庇幕板の塗装作業をしたが、その現場は××○○の出入口であり、その際、丙は、同じ現場で交通整理やローリングタワーの移動などの仕事をしていた。丙は午後五時ころ帰宅した」旨述べているところ、前記H、いずれも○○塗装の従業員である証人P(ただし、日付の特定はできないという)及び同証人Kの当審判廷における各供述は、これと同旨の内容であるが、これらの供述は、稼働日について上記各手帳の各内容に符合する(Pも丙も稼働状況について他と合致する)ばかりか、相互に基本的な部分で合致し、また、供述内容に不自然、不合理な点が見当たらない。

(二) ただ、Vの司法警察員及び検察官に対する各供述調書、同人の当審判廷における供述は、これらと相容れない点を含む証拠である。すなわち、同人の供述は、「××○○における屋外作業の場合、作業員は、保安課に備付けの作業員名簿に名前と入店時刻を記入し、それと引換えに腕章を受領するとの原則にもかかわらず、腕章がなくても作業をすることができないわけではなく、実際にもその半数位は名簿への記入及び腕章の受領を行うことなく作業をしていたのに反し、屋内作業の場合には、名簿記入及び腕章着用が励行していたところ、昭和六三年一一月一六日作業員名簿(同押号の25)の氏名欄に『G』、入店時刻欄に『14:30』と記載されていることから考えると、Gが自ら名簿に氏名と入店時刻を記入し腕章を受け取り、店内で作業をしたのではないかと思う」というのであり、そうであるならば、Gが一一月一六日午後二時三〇分から店内の作業に就いたのではないかとの疑問が出て、Gの供述の信用性を揺がせることになる。しかし、他方、証人Hは、当審判廷で、「自分は、Gが××○○の腕章をしていないのに気づき、建物外であるからいいなと思ったが、後になってやはり腕章をつけていた方がよいと判断して、午後二時三〇分に自ら作業員名簿に『G』と記入して腕章を受け取り、Gに渡した」というのである。

そこで、前記作業員名簿に記載されている「G」の筆跡と記録上のG本人の筆跡とを対照すると、一見してその筆跡は一致しないものであり、右名簿の「G」の署名がGの自署とは到底認められず、Vの供述よりもHの供述に合致している。またVの供述には「Vが、昭和六三年一一月一六日午前一〇時ころ、××○○の外部塗装の巡回をもしたが、作業中の塗料の色が、周囲の色と違っていたので、作業員に塗り直しを指示したところ、この男は、Gではなかったように思う」というものであり、そうであれば、屋外で作業をしたというGの上記供述とくいちがうことになる。しかし、Vの供述は、巡回時刻及び同人の指示相手について曖昧であり、右供述をにわかに措信することはできない。かえって、Jの東京地方検察庁検事正に対する上申書によれば、Vから指摘された相手は、Gであることがうかがわれる。そうすると、Vの供述をもって、Gらの供述の信用性を左右することはできないといわざるを得ない。

三  以上のとおり、丙のアリバイに関する供述については、これを裏付ける幾多の証拠が存し、これらの証拠の信用性を覆す事情を見出し難い。そうすると、丙は、本件犯行の時間帯には犯行現場とは遠隔地の××○○で稼働していたのではないかという疑いを抱かせるものであって、本件犯行に加わらなかった疑いが濃厚である。

なお、甲、乙も、当審判廷において、本件犯行の時間帯には、それぞれ自宅にいた旨供述するが、これを裏付ける明確かつ客観的証拠は見当たらない。

第三  少年らと本件犯行を結びつける客観的証拠について

本件において、少年らと本件犯行とを結びつける直接証拠としては、少年らの捜査段階における各自白があるだけであって、客観的証拠は何ひとつない。

もっとも、乙方から押収されたバック(同押号の4、以下「本件バック」という)及びブローチ(以下「本件ブローチ」という)が被害品であるようにいう被害者F子の夫や友人の供述があるところ、そうであれば、この事実は、少年らの自白の信用性を強く根拠づけるとともに、自白を除いても乙と本件犯行を結びつける有力な証拠となり得るのであるけれども後に述べるとおり(後記第四の二の1、2)、本件バック及びブローチを被害品と認めるには疑問を容れる余地が多分にあり、必ずしも、乙を本件犯行に結びつける客観的証拠とはならない。また、W子は、捜査官に対し、「本件犯行日の午後二時四〇分ころ、○○マンション前の歩道上を自転車で通行中、同玄関の階段付近で言葉を交わしている中学生ぐらいの痩形の年少者二人を見た」と述べているので、その年少者が少年達であれば、いくらか少年らを本件犯行に結びつけることになる。しかし、他方、同女の供述は、目撃した状況や時間帯について曖昧であるばかりか、その年少者が少年らであることまで特定しているものでもない。しかも、同女は、本件後間もないころ、種々の事情聴取を受けながら、その際にはマンション前の年少者の目撃に触れていないのであるから、上記供述には唐突の感を否めない。そうすると、同女の供述も少年らを本件犯行に結びつける証拠とはならない。

第四  少年らの自白の信用性について

少年らの自白の内容には、次のとおり、その信用性を疑わせる幾多の疑問点がある。

一  丙のアリバイ問題との関係

少年らは、いずれも捜査段階において、三名の実行行為分担による本件犯行を自白しているけれども、丙には、上述のとおり、本件犯行についてアリバイが成立する疑いが濃厚であるから、これと基本的に矛盾する少年らの自白については信用性に大きな疑問が生ずる。また、自白においては、犯行前二日間の日中の少年らの行動や共謀過程についても、甲及び乙のみでなく、丙の行動も重要なかかわりを持っていることになっている。しかし、上記第二の各証拠では、丙は、同年一一月一四日、一五日の日中にも自宅におらず、△△○○店あるいは××○○の作業現場で稼働していたことになるから、少年らの供述するような事前謀議などをすることは不可能であって、少年らの犯行前二日間についての前記供述にも重大な疑問が生じている。

二  客観的証拠の裏付けの欠如

1  少年乙は、捜査段階において、被害者宅の整理箪笥の抽出にあった本件バック及びその中にあった本件ブローチを強奪した旨供述している。しかも、本件記録によれば、本件バック及びブローチは、乙宅から押収されたものと認められるから、それが、被害品であることが明らかになれば、上述のとおり、自白の信用性を裏付ける決め手ともなり得るものである。X子の司法警察員に対する供述調書、Y子の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、被害者F子の友人Y子が、被害者F子に対し、昭和五八年六月か七月ころ、ナショナルの「○○○の△会」の記念品であるセカンドバックを贈与したことがあり、これが本件バックと同種のものであるようにいうのであるけれども、上記セカンドバックは、昭和五〇年に一〇〇万個製造され、そのころ全国に出回っていること、また、Y子は、このバックの図柄を記憶していないことなどに照らすと、このバックが、本件バックと同一の物とまでは認め難い。また、被害者F子の夫Dの本件バックに関する供述は、曖昧な点が多く措信しがたい。その他本件バック及びブローチが被害品であることを確定するに足りる証拠はない。かえって、本件ブローチは、少年乙が、平成元年四月、○○塗装の社員旅行で静岡県中伊豆に行った際、宿泊先の国民宿舎「○○○荘」内の売店で購入したものであることもうかがわれる。してみると、本件ブローチが、本件犯行時、本件バックの中に入っていたというようなことは首肯し難く、ひいては、本件バックが被害品であることにも疑いを抱かせることになる。これらからすると、被害品に関する乙の自白の内容には疑問がある。

2  乙は、捜査段階において、「被害者の血が多量に付着した手袋(毛糸)をした手で本件バックを整理箪笥から取り出した。また、財布や貯金箱も同じく手袋をした手でつかみ、紙幣だけを抜き取った」旨供述しているところ、それが事実であるとするならば、被害者の血が本件バック、整理箪笥の抽出、財布、貯金箱などに全く付着しないというようなことは常識上あり得ないのではないかと思われるのに、司法警察員作成の昭和六三年一二月二二日付け実況見分調書などによれば、それらに血痕の付着は一切認められていない。

3  乙の捜査段階における供述によれば、本件犯行の際使用した手袋は、犯行の翌日ビニール袋に入れて捨てたというのであるが、警察の捜査によっても発見されていない。また、前記供述によると、「乙は、前記手袋はZの経営する商店『○○○』で購入した」というのであるが、前記Zはこれを否定し、他に購入先を確定する証拠はない。

4  甲及び乙は、捜査段階において、甲が本件犯行の際、乙方から押収された手袋(同押号の3)を使用した旨供述するけれども、同手袋には血痕、その他本件犯行の用に供したことを確定するに足りる証拠は全くない。

5  乙は、捜査段階において、被害者F子の後頭部の挫裂創について「母親の髪をつかんで四畳半の和室の壁にぶっつけたときにできた傷である」旨供述し、甲は、捜査段階において、「母親の腹を殴ったとき一旦後方へ倒れた際、同室の壁か襖に頭をぶっつけたときにできた傷である」旨供述しているが、同室の壁には血痕の付着は一切認められない(前記実況見分調書及び検証調書)。また、同室の襖には、血痕の付着は認められるけれども、果たしてそれが前記傷ができたときに付着したものかどうか血痕の付着の位置や状況などに照らして必ずしも明確でないうえに、上記傷の形状は三日月形をしていること及び創洞は、右下方にポケット状をなし深さ約二・九センチメートルであること(検視立会報告書)を考え合わせると、甲、乙の供述どおり壁や襖などの平面に転倒した結果生じた創傷と理解することは困難である。

6  甲は、捜査段階において「被害者F子は、四畳半の部屋から四這になって炬燵を回わるようにしてその西側を通って居間に逃げた」旨供述している。しかしながら、前記実況見分調書によれば、上記炬燵は、西側壁にぴったり寄せられている(犯行後炬燵を移動させたことを認めるに足る証拠はない)ことが認められ、甲の供述するような方法では逃げ得る空間はなかったというほかはなく、自白が客観的証拠と一致しない。

7  甲は、捜査段階において、「被害者方居間において、立膝の被害者F子を扼殺して床の上に仰向けに押し倒した」旨供述している。したがって、もしも、右供述が真実であるとするならば、被害者F子は扼殺されるときすでに後頭部中央付近を受傷して出血していたとされるのであるから、居間の床の上に敷かれているカーペットに血痕が付着しないというようなことは理解し難いのに、本件記録によれば、右カーペットからは血液反応が認められない。

三  証拠上明らかな事実についての説明の欠落

1  前記実況見分調書によれば、死亡していた被害者F子のスカートのホックがはずれ、ファスナーの取手が下端まで引き下げられ、下着が露出している状態になっていて、犯人によって何らかの作為が加えられていることを示していると思われるのに、少年らの自白からは、この点についての説明が一切欠落している。

2  前記実況見分調書及び検証調書によれば、四畳半の和室及び被害者F子の身辺、着衣などに同女の血痕が相当量付着していることが認められる。これだけの出血を伴う傷害を加えたのであるから、もしも、乙が犯人であるとすれば、乙の着衣などに相応の血が付着すると考えるのが自然であろう。したがって、捜査官としては、これについて乙を追及して供述を求めたであろうと考えられるのに、乙の供述からは、この点についての説明が一切欠落している。

四  自白内容の不自然、不合理

1  少年らの捜査段階における供述によれば、少年らは指紋が残るのを回避するために手袋を用意し、しかも、少年らは、被害者らが乙の知り合いであることを承知のうえで、甲が被害者F子を脅し、乙が金の在所を聞くことを予定していたというのである。しかしながら、それが真実であるとするならば、犯行の過程で少年らは被害者らに当然顔を見られることを予想できる筈であるから、これを防止すべく例えば覆面を用意するなどの話合いがなされて然るべきであると思われるのに、これが全くなされていないのは不合理といわなければならない。

2  少年らは、捜査段階において、「丙は、甲と乙が○○マンション五階×××号D方居室において、本件犯行を働いていたとき、乙の指示により○○マンション一階正面玄関入口付近において見張りをしていた」旨供述している。しかしながら、○○マンション五階で行われる犯行のために一階で見張りを行ったというようなことは、見張り中に警戒すべき者が現われたときの通報方法をも欠いていて、自然な内容の自白とは言えない。

3  甲及び乙は、捜査段階において、「乙は、被害者宅四畳半の和室において、被害者Eを殺害した後、その死体を隠すために左奥六畳和室に運搬し、甲は、右奥居間において、被害者F子を殺害した後、その死体を上記四畳半の和室に移動した」旨供述する。しかしながら、被害者Eの場合には、その後に被害者F子が帰って来ることが予想されており、発覚を恐れて奥の部屋に移す意味はあるが、被害者F子の場合には、その必要はほとんど考えられない。むしろ犯人の心情としては早く物色して逃走する方が合理的であると思われる。しかも、被害者Eの場合に発覚を恐れてわざわざその死体を奥の部屋に移動させたことを考えると、なぜ被害者F子の死体を発覚されやすいとされる上記四畳半の部屋に運んだのか全く理解できない。

五  少年らの自白内容の変転、動揺

少年ら(主として乙)の捜査段階における供述には、共謀の日時、被害者Eの絞殺に使われたとされる兇器、被害者F子の財布の在所などにつき著しい変転、動揺がある。すなわち、共謀の日時につき、本件犯行日の前日であったという供述が概ね維持されているものの、犯行日二、三日前あるいは三、四日前、犯行日の前日及び前々日、犯行日と供述している。また、兇器につき、被害者宅の箪笥にあったベルトであったという供述が大体維持されているとはいえ、あらかじめ準備してきた紐であったとか、被害者Eのしめていたベルトであったとか、乙がしめていたベルトであったとか大きく変転、動揺している。さらに、被害者F子の財布の在所につき、当初、被害者宅居間の床の上にあったと供述していたのが、その後になって、被害者F子のバックの中にあったとか、被害者宅の箪笥の中にあったとかいう供述に変わり、しまいには、どこにあったのか記憶がないとも供述し、大きく変転、動揺している。以上のほか、被害者宅への侵入方法、被害者Eの殺害場所、被害金額、本件バックの色及び手袋の色、分配金、奪取金員の使途などについても、単なる記憶違いや不確さなどに起因するものとは言い難い変遷、動揺がある。

このような供述の変転、動揺は、少年らが現実に体験していないことを捜査官に迎合して供述しているために生じたものと疑わざるを得ないほどである。

六  秘密の暴露の欠如

少年らの自白の内容に、犯人のみが知り得た事実でその暴露の供述の後に初めて捜査官が知って真実と確認された客観的事実が含まれているとは言えない(少年らの自白中、いわゆる秘密の暴露にあたるか否かが問題となり得るものは、被害者Eを絞殺したのは甲ではなくて乙であったとする部分、被害者Eを殺害した後に同F子を殺害したとする部分、奥の居間で被害者F子を殺害した後、その死体を四畳半の和室に運んだとする部分、その他であるが、検討すると、いずれも秘密の暴露に当たらないというほかない。)。

七  小括

以上説示したとおり、少年らの自白の内容には幾多の疑問があるといわなければならない。では、何故少年らが、いずれも法定刑が死刑か無期懲役しかないほどの重大犯罪について自白するに至ったかをも考えてみる。

少年らは、当審判廷では無理な取調状況をこもごも訴え、何度も自分達は強盗殺人などしていないと弁解したが、聞き入れて貰えず、警察官から「やったんだろう。他の者はお前と一緒に事件をやったと言っているぞ。お前だけが何故嘘をつく。嘘つくんじゃない」と大声で怒鳴られ、黙っていると、「はよ、言わんかい。まだてめえは嘘をついているのか」などと怒号しながら定規をもって机を叩くなどしておどかされた旨を強調するところ、取調警察官の当審判廷での供述、その他記録上うかがわれる状況からすると、少年らの訴をそのまま全面的に信用できるとまでは言い難いけれども、例えば、乙は、取調警察官に頭をこづかれたこともうかがわれるのであり(M子の司法警察員に対する平成元年五月一一日付け供述調書)、やや無理な取調べがなかったとまでは言えないのであって、少年らが警察官の言動のために畏怖心を抱いたのであろうことは推測に難くない。しかも、少年らが取調べを受けた当時一五歳又は一六歳の年少者であるうえ、いずれもいわゆるいじめられっ子の萎縮し易い弱い性格を持っていたことが記録上認められるから、強い者や権威ある者に迎合し、一時逃れにその場限りの供述をし易い者であったと言い得る。これらに加えて、少年らがいうように互に特に大切に思う他の少年が、すでに自白したとの偽りの取調べを受け、そうならば仕方がないとの諦めの気持ちも生じて、必ずしも体験しない事柄でも、取調官の誘導次第によっては詳細な自白に至ってしまうということも想像できないではないのであるから、検察官ばかりでなく、当初家裁裁判官にまで自白したことを考慮しても、少年らの自白のみで、少年らと本件犯行の結びつきを肯定することはできない。

第五  結論

以上のとおり、本件犯行については、本件記録に現われた一切の証拠資料を検討したにもかかわらず、ついにこれが少年らの共同犯行であるとの確信を得ることができなかったので、結局本件送致事実は証明のないことに帰する。

よって、少年法二三条二項前段により、主文のとおり決定する。

(裁判官 内園盛久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例